2009年12月

礼拝説教(田島靖則牧師):「荒れ野で叫ぶ声」 2009年12月13日(日)

                                                              

 

bokushi_01.jpg 待降節第2主日 ルカ316 「荒れ野で叫ぶ声」   田島靖則

 

 私たちキリスト教徒にとって、聖書に記される「洗礼者ヨハネ」という人は、一体どのような意味をもつ人物なのでしょうか?よく言われますことは、「洗礼者ヨハネは、イエス・キリストの先駆者であった」ということですが、これも分かったようでいて実はよく分からない説明です。「先駆者」とは何でしょうか?「先駆者」とは、読んで字のごとく「人に先駆けて物事をなす人」という意味ですが、ヨハネは一体なぜ主イエスに先駆ける必要があったのでしょうか?

 ある人は、ヨハネを「相撲でいえば露払いのようなものだ」といいますし、またある人は、「歌手のコンサートの前座のような存在だ」と思っているようですが、本当に、その程度の役割を与えられた存在だったのだろうかと首をひねりたくもなります。

 ご承知の通り、クリスマス物語のなかで、寄る辺なきマリアを陰で支えたのが、同じように身ごもっていたヨハネの母エリサベトでした。相前後して生まれたヨハネとイエス。この二人の関係を何にたとえるべきかと頭をひねるとき、私が真っ先に思い浮かべるのが、19世紀末の英国の作家オスカー・ワイルドの作品『幸福な王子』です。『しあわせのおうじ』という表題で絵本にもなっていますから、皆様もご存知だと思います。

 

 一羽のつばめが出て参ります。仲間たちはみんな暖かい南の国へ渡ってしまったのに、どういうわけかこの一羽のつばめだけは、すっかり寒くなった街の広場に取り残されています。その街の広場の真ん中には、立派な王子の銅像が立っています。王子の目はサファイアで、腰の剣にはルビーが飾られています。その全身はぴかぴかの金箔に包まれていました。

 王子の銅像の足もとに一夜の宿を求めたつばめは、王子の目からこぼれ落ちる涙に気付き、頼まれるままに、剣のルビー、王子の目に飾られているサファイア、そして身体を包む金箔を、街の貧しい人たちのところへ届ける役を引き受けます。こうして王子は持っているものすべてを、街の貧しい人、困っている人にあげてしまいます。

 そうして、この王子の銅像に飾られていた宝ものが、一つ残らず取り外されてしまったとき、街の人たちはその銅像をただの「がらくた」同然に扱うようになります。

 やがて、王子のために働き、暖かい国に渡る時期を逸したつばめは、王子の足もとでひっそりと死んでゆきます。

 そして王子の銅像は、引き倒され、捨てられてしまうのです。

 

 「ああ、あのお話か」と思い当たった方もおられるでしょう。

 作家のオスカー・ワイルドは、キリストの生涯に並々ならぬ興味を抱いていたといわれます。最後に引き倒され、捨てられる王子の銅像は、もちろんイエスを指しています。そして、王子のためにあちこちの貧しい人たちに宝物を配ってまわったつばめこそ、洗礼者ヨハネです。

 ワイルドは、もうひとつの有名な作品として、戯曲の『サロメ』を残していますが。その戯曲『サロメ』のなかで悲劇的な死を遂げるのも、洗礼者ヨハネその人です。ワイルドはヨハネを「ヨカナーン」という名前で戯曲に登場させます。戯曲の一場面をお読みしましょう。

 

 ヨカナーンの声がします。「私の後に来るのは、私よりも力のある方だ。その方が来られるとき、荒れ果てた地もよろこぶだろう。ゆりのように花開くだろう。」

 兵士が言います「あいつを黙らせろ!あいつはいつも、訳の分からぬ事ばかり言う」。「いや、いや。あれは聖者だ。それにとてもやさしい」。「何者だ?」。「預言者だ」。「名前は何という?」。「ヨカナーン」。「どこから来た」。「砂漠からだ。そこでは、いなごと野蜜を食べていた。革の帯をしめていた。そのなりふりはものすごかった。多くの人々が彼の後に従っていた・・・弟子さえあった」。「何をしゃべっているのだろう?」。「おれたちにはさっぱりわからん。ときどき、身の毛もよだつようなことを言う。だが、何を言っているのかはわからない」。

 

 この戯曲に登場する兵士というのは、ガリラヤ領主のヘロデに仕える兵隊ですから、当時、兄弟の妻を奪うというヘロデ王の愚行を手厳しく批判していたヨハネの言葉を「理解できない」というのも分かります。しかしその兵士たちをして「やさしい聖者であり、預言者である」と言わしめるのが洗礼者ヨハネという存在です。

 本日の福音書の日課によれば、時は皇帝ティベリウスの治世の第15年。つまり、マリアとヨセフのベツレヘム行きのきっかけとなった人口調査を命じた皇帝アウグストゥスの後任としてティベリウスが即位したのが紀元14年ですから、計算するとこの年は、紀元27年〜28年を指しているとわかります。この年、神の言葉がヨハネに降ったと聖書は語ります。

 

 そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

 

 洗礼者ヨハネは「荒れ野」に現れたと記されています。「荒れ野」は本来、人の住めるような場所ではありません。ヨハネが荒れ野に現れたという言葉で示されていることは、人として生きることが困難な状況のなかに置かれている人たち、荒れ野のような現実を生きなければならない人たちのところへまず彼が訪れたということです。ヨハネは「荒れ野の現実にもかかわらず、あなたがたが生きることを強く望まれる神様のもとに立ち返りなさい」と勧めます。

 本日の福音書の日課の続きを読みますと、洗礼者ヨハネが手厳しく「悔い改め」を迫った相手は、ヘロデ王に代表されるような裕福で「自分こそ正しい者」とうぬぼれている人たちであったことが分かります。そして、搾取され虐げられ貧しさの中で困窮にあえぐ者たちには、裁きの言葉ではなく、「下着や食べ物を分け合うように」との、優しさに満ちた的確な言葉を残しています。

 洗礼者ヨハネは、その生涯をひたすらに「キリストの到来を告げ知らせる者」として生き抜きました。その証拠に、彼はキリストとしての主イエスの出現とほぼ時を同じくしてその生涯を終えています。

 オスカー・ワイルドが戯曲で描いたように、その最期はヘロデ王の宴会の座興として命を奪われるという、まことに悲惨なものでした。しかし、彼が命をかけて指し示そうと努めた場所に、主イエスが立っておられ、ヨハネが完成できなかった「罪の赦しのわざ」と「抑圧された人々の解放」を果たし、「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」という旧約聖書の預言の言葉は実現したのです。

 戯曲『サロメ』のなかで、宴会の座興にヨハネの首を所望するサロメに向かって、ヨハネはこう語りかけます。

「娘よ。おまえを救い得る方はただ一人しかおいでにならぬ。わたしがおまえにいうのは、その方のことだ。その方を探しに行け!その方は、自分を呼び求めるすべての人のもとへ来られる。」

 私たちもまた、洗礼者ヨハネの指し示すかなたをしっかりと見つめ、主イエスと出会うためのクリスマスの備えの時といたしましょう。

 

礼拝説教(田島靖則牧師):「たったひとりの理解者」 2009年12月6日(日)

 

 

bokushi_01.jpg降誕祭 ルカ13945(ルカ14655) 「たったひとりの理解者」 田島靖則

 

 1940(昭和15年)1231日午後1030分、NHK交響楽団の指揮者ヨーゼフ・ローゼンシュトックがベートーベン第九のラジオ生放送を行います。これを企画したのは当時のNHK職員だった三宅善三という人です。彼はその理由について「ドイツでは習慣として大晦日に第九を演奏し、演奏終了と共に新年を迎える」と語っているそうですが、実際にはドイツにそうした習慣はなく、これは彼の勘違いであるといわれています。「年末は第九」という「季節の風物」が、勘違いから生まれたというのもおかしなお話しです。もっとも、日本で年末に第九が頻繁に演奏されるようになった背景には、終戦後オーケストラの収入が少なくて、楽団員の年末年始の生活に困る現状を改善したいという現実的な思惑もあったということです。

ちなみに、日本で初めてベートーベンの交響曲第9番が歌われたのは、第1次世界大戦時の四国、徳島にあったドイツ人捕虜収容所でのこと。当時の収容所の監督であった軍人も、また地元の人達も、捕虜であるドイツ人たちを、人道的見地からも恥ずかしくない態度を持って扱ったときいています。

 だいぶ前ですが、サハリンに住んでいるひとりのドイツ人女性の話を、なにかの文章で読んだことを思い出します。ある時、日本人ジャーナリストがサハリンのユジノサハリンスクという北海道に近い町から、サハリンの中央部ティモフスクという町まで列車で旅をしたとき、列車が駅に着くと、ずきん姿の物売りの農婦たちが声をかけてきたそうです。そこで、アンナ・ベックさんという名の60才の女性と話をするうちに、彼女が第2次大戦の時に強制移住させられたドイツ人女性であることを知ります。そのジャーナリストが「町にドイツ人はたくさんいるの?」と尋ねると「もういない」と小声で答えたそうです。自分は少数民族の取材で北へ行くと告げると、「私も少数民族なのに・・・」と答え、続けて「ねえ、日本へ行けるとしたら、国境で私を助けてくれる?」と問いかけてきたそうです。そこでジャーナリスト氏は返事に窮していると、彼女は淋しそうに笑ったそうです。彼女が移住してきたのは1941年、独ソ戦開始の年、彼女はまだ4才だったということを話してくれたそうです。もっと詳しい話を聞こうとした時に、列車の出発の汽笛が鳴ります。そこでジャーナリスト氏は「ダスビダニア」と、ロシア語で別れを告げました。すると彼女は、近くの他の農婦に聞こえないように、こうささやいたそうです「アウフ・ビーダーゼエン」。ドイツ語で「さようなら」。

 今、私たちは今年のクリスマスをどんな気持ちで迎えようとしているでしょうか?私たちが、今抱えている悩みはどんな悩みでしょうか?私たちは、安心して自分の国に住み、日々の糧に事欠くこともない。それでも、自分が見捨てられた存在だと感じる人が、多くいるのは何故なのでしょうか?

 さて、クリスマスウイークの始まりである本日、私たちに与えられた福音書の日課は、イエスの母マリアと、その親類の年老いた女性エリサベトの姿を、私たちに伝えております。不思議な神の力によって、赤ちゃんが宿ったという、天使による受胎告知を受けた若きおとめマリアは、天使に向かって「お言葉どおり、この身になりますように」と答え、神様への信仰を告白しますが、しかし、それでマリアは落ちついて家でじっとしていることは出来なかったようです。 確かにマリアは、素朴な信仰と、こういった出来事を起こされた神様への信頼を持っておりましたが、しかし、目下の所このことを知っているのは「神様と私」だけ。自分のまわりで、今起こっている出来事に気付いている者は誰一人おりません。「マリアの淋しさ」「マリアの孤独感」を共有してくれる者は誰一人おりませんでした。 

 ところが実は、この「マリアの密かな苦しみ」を分かち合える人が、たった一人だけいたのです。それは、マリアの住むナザレ村からは23日ほどの道のりであるユダの町に住む、親戚の女性エリサベトでした。天使はマリアに向かってこう告げたのです「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう6カ月になっている。神にできないことは何一つない」。

 マリアは神様のお心を信頼しながらも、人知れぬ大きな「淋しさ」「孤独」を抱えたままで、じっとしていることはできませんでした。それで、旅支度を整え、「マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った」と聖書は語ります。マリアにとって、このエリサベトという親類が、日頃から懇意にしている親戚であったのかどうか定かではありませんが、身分的に見れば、マリアはガリラヤのナザレという田舎町に住み、大工の青年のいいなずけであるということからも、社会的な身分が高かったわけでも、家柄を誇るような立場にあったわけでもないということが分かります。一方エリサベトは預言者と言われたモーセの兄、アロンの家の直系の子孫であり、神殿祭司のザカリアの妻という立場でありました。つまり、平民と貴族という身分の違いがあったということです。もしかしたら、口もきいたことのないような、そんな親戚関係だったかもしれません。しかし、今、マリアにとっては、この親類のエリサベトだけが、自分の身に起こっている出来事を理解し合うことのできる唯一の人間です。彼女は、急いで山里に向かい、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶をしました。

 するとどうでしょう、もう十分に高齢であったエリサベトのおなかの中の赤ちゃんが、マリアの声を聞いて喜び踊ったのです。エリサベトはこのことを感じると、親類の娘マリアの身に起こっていることを理解し、即座にこう答えます「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています」。

 マリアが、この言葉を聞いて思わず涙ぐむ姿を想像できるでしょうか?「自分はひとりぼっちではない」「神様は、私を慰めるために、この人との出会いをつくってくださった」。クリスマスの物語は、一人の寄る辺なき身の女性に過酷な運命を課しましたが、その「まったくの孤独」と思われる身の上に、神様は「避けどころ」「避難所」を用意されるということを私たちに伝えようとしています。

 私たちも、ある時はマリアのようであり、またある時はエリサベトとしての役を担う者でもあります。

 マリアがめでたくヨセフと結ばれ、そして神様の愛を惜しみなく示し、良い知らせを私たちに伝え、そして私たちのために十字架に架かられたキリストがお生まれになった。クリスマスは、この喜びをしみじみと噛みしめる時です。

「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」。

 この言葉を胸に刻み、クリスマスの喜びにあずかりましょう。