降誕祭 ヨハネ1114 「初めに言葉があった」        田島靖則

 

 今年、2016年という年もまた様々に驚かされる事件や、考えさせられる出来事がありました。なかでも相模原で起こった障害者殺傷事件は、「人間の命は本当に神聖なものなのか?」という根本的な疑問を突きつけられたという意味で、衝撃的でした。世界三大宗教といえば、キリスト教、イスラム教、仏教ですが、いずれの宗教も人間を「救われるべき存在」と考え、その根拠は「神の愛」あるいは「仏の慈悲」にあると説きます。金子みすゞの「花のたましい」という詩を読んでみましょう。

 「散ったお花の魂は、み仏様の花園に、一つ残らず生まれるの。だってお花はやさしくて、おてんとさまが呼ぶときに、ぱっと開いて微笑んで、蝶々に甘い蜜をやり、人にゃ匂いをみなくれて・・・風がおいでと呼ぶときに、やはりすなおについてゆき、なきがらさえもままごとの、ご飯になってくれるから」。

 マタイによる福音書には、次のようなキリストの言葉が記されています。「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ」。

 草花にさえ愛を注ぐ神様が、一人一人の人間を愛さないなどということがあるだろうか?たった一輪の花にさえ、「たましい」があると仏教徒である金子みすゞはうたいました。人の命の神聖さというものは、誰かがこうして説き続けない限りは、自然に理解されるというものではありません。「自分が大切にされている」「自分は生きていて良い存在だ」と自然に実感することは難しいのです。だからこそ歴史的な宗教は「救い」を説きます。

 インドネシアは国民の8割近くがイスラム教徒の国です。首都ジャカルタのバイクタクシー運転手リオ・ワルソさんが、道路脇に出している掲示板が話題になっているそうです。ワルソさんはもちろんイスラム教の聖職者ではありませんが、ジョークや格言が日替わりで書き込まれるのを、通りすがりの人たちが楽しみに見ているそうです。「神よ、バイクのウインカーをつけずに交差点を曲がるおばちゃんから私を守りたまえ。」「愛には心遣いが必要。でも小遣いも必要。」「神様がなかなか祈りをかなえてくれなくても辛抱して。祈っているのは君だけじゃないんだから」。ISのテロがあった次の日には、「聖戦とは神の教えのとおりに生きることだ。外の通りでやるもんじゃない」。ユーモアを交えたワルソさんの言葉は、慌ただしく道を行く人々の心を「ほっ」とさせる力があるようです。

 

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。

 

 キリストのことを「ことば」であると説明する、ヨハネによる福音書の序文は、2000年前、ベツレヘムの家畜小屋で貧しい姿で生まれたイエス・キリストの言葉こそ、私たち人間を根底から支え生かす力を持っていると語っています。2000年前の最初のクリスマスは、求める人すべてに神様からのプレゼントである「愛の言葉」が贈られたという物語です。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。」と宣言されています。私たちを照らす光がある。暗闇の中で輝く光がある。私たちのこの目では見えない「輝く光」です。

 神様の思いは「ことば」として届けられます。ヨハネによる福音書は、そのことを多少ギリシャ哲学的な表現を用いて伝えています。インドネシアのワルソさんのように、もっと易しい言葉に翻訳することで、神様の愛はより心に届くものとなります。私の好きな作家、田辺聖子さんはこんなことを言っています。「世の中に人間がこんなにたくさんいるのは、神様が『みんな仲良うせいよ』『笑って、ええ目をみいよ』って思ってるからじゃない?子どもたちにこういう話をすると、戦争する人もいるって言うの。『神様はきっとそういう人たちを「アホ」って思っているはずよ』って言っちゃった」。

 

その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである・・・言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。

 

 私たちに、『笑って、ええ目をみいよ』と語りかけて下さるキリストの誕生を心から祝い、新しい年に備えましょう。

クリスマス!

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12月24日(土)16:30〜 こどもクリスマス聖夜礼拝
12月24日(土)19:00〜 クリスマス聖夜礼拝

クリスマス聖夜礼拝 ルカ2820 「天使に導かれて」     田島靖則

 映画好きの方ならご存知かもしれませんが、1996年に公開されたアメリカ映画、デンゼル・ワシントンとホイットニー・ヒューストンが主演した「The Preacher's Wife(邦題:天使の贈り物)」は、実は終戦直後の1947年のアメリカ映画「The Bishop's Wife(邦題:気まぐれ天使)」のリメイク版です。オリジナルである「The Bishop's Wife(邦題:気まぐれ天使)」は、ケイリー・グラントとロレッタ・ヤングが主演した古めかしいモノクロ映画でした。デンゼル・ワシントン主演の現代版は、スランプに陥ったバプテスト教会の牧師を助ける黒人天使のお話。ケイリー・グラント主演のオリジナル版は、教会の建築資金の調達に苦しむ米国聖公会の主教を助ける、白人天使のお話です。困窮するルーテル教会牧師を助ける日本人天使のお話というのも、いつか観てみたいですね。

 キリスト教の暦の中で、天使が一躍脚光を浴びる季節がクリスマスです。イエス様よりも半年早く生まれた洗礼者ヨハネの誕生を、その父ザカリアに告げた天使。マリアに受胎告知を行った天使ガブリエル。マリアのいいなずけヨセフに、夢でお告げを与えた天使。野宿をしていた羊飼いたちに、キリストの誕生を知らせた天使と天の大軍。聖書の物語の中で、こんなにもたくさんの天使たちが一度に現れるのは、クリスマス物語だけです。

 キリスト教の歴史の中で、天使という存在は、曖昧な立ち位置を強いられてきたと言って間違いないと思います。天使は、文字通り天の使いであり、神様の意思を伝え、神様の意思を実現するために、神と人の間に立って働く特別な存在です。しかしその、神よりも人に近い存在であるということから、安易な天使崇拝が発生したことを、コロサイの信徒への手紙2章では「偽りの謙遜と天使礼拝にふける者」という言葉で警告しています。また、ヨハネの黙示録22章には、「わたしは、これらのことを聞き、また見たヨハネである。聞き、また見たとき、わたしは、このことを示してくれた天使の足もとにひれ伏して、拝もうとした。すると、天使はわたしに言った。『やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。』」とあります。

 しかしキリスト教はもちろん、その母体となったユダヤ教においても天使の存在は明言されています。天使は昔々のお話で、今を生きる私たちには関係のない存在なのでしょうか?それともキリストの誕生を境に、天使たちは天上界に引退してしまったと理解すべきなのでしょうか?こういった疑問に、一つの回答を与えようとしたのが、冒頭でご紹介した映画の原作でしょう。映画の中では、天使の存在は一部の関係者にだけ知られており、その天使が使命を終えて天に帰る時、すべての人の記憶からその存在は消されることになっています。

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告

げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。

 羊飼いという職業は、自然の恵みに頼って羊たちを放牧し、育った羊たちをまた持ち主に返すという仕事です。悪天候や野獣の存在から身を守るための圧倒的な力が、彼らに備わっているわけではありません。ひるがえって考えますと、この私たちもまた、羊飼いたちのような心細さを常に感じながら生きて行くように思います。ここまで生き延びてこられたのは、自分の努力のたまものだと、胸張って言える人はどのくらいいるでしょうか?ここまで生き延びたのは、ただただ運が良かったから。ここまでやってこれたのは、ほぼ偶然のたまものだと言う人の方が、より誠実な人だと思うのです。でもその「運の良さ」や「偶然の巡り合わせ」は、本当にただの運や偶然だったのでしょうか?感謝すべき相手は、運や偶然なのでしょうか?私たちは、神様が共に働いてくださったという確証を持てないのです。キリストが私たちを背負って運んでくださったという記憶もありません。天使たちが誰かの姿を借りて、私たちを支えてくれたことも覚えてはいない。私たちの理性は、天使だけでなく神様の存在を認識することもできません。でも、私たちの記憶に残っていないのだとしても、神様は私たちを見守り、キリストは私たちの重荷を背負ってくださり、天使たちは私たちを支えるのだと、聖書の物語は私たちを教えます。クリスマスの喜びは、「私たちは独りぼっちではない!」という事実の発見にあります。クリスマスの天使は今も、私たちに語りかけています。見ないで信じる人は幸いです。

降誕主日 ルカ2820 「光の中に見えたもの」        田島靖則

 

 ユダヤ教、キリスト教では、「羊飼い」という職業を、神とキリストの比喩として用いてきました。現代においても、ローマ教皇はその正装に不可欠な「牧羊杖」とよばれる先端がくるりと曲がった杖「羊飼いの杖」を用いますし、この私の職業名も「牧師」です。特にキリスト教2000年の歴史の中で、「羊飼い」という存在は、理想化され、また神聖化もされてきました。

 牧畜生活を理想化する伝統は、イスラエルの父祖とされる旧約聖書の登場人物の多くが、牧畜生活を送っていたことから生まれたと考えられます。羊飼いは、常に新しい牧草地を求めて、月明かりの夜に移動する必要がありました。実際は、常に野宿を強いられる生活です。新鮮な空気を好む羊たちのために、狼などの野獣を避けるため、適当な岩のくぼみに近い場所に羊たちを集め、その前にたき火を起こして羊飼いたちは野営したのでしょう。

 旧約聖書創世記は、羊飼いとして伯父であるラバンのもとで長年働いたヤコブの物語を伝えています。創世記31章にはこう語ります。

 

(38)この二十年間というもの、わたしはあなたのもとにいましたが、あなたの雌羊や雌山羊が子を産み損ねたことはありません。わたしは、あなたの群れの雄羊を食べたこともありません。(39)野獣にかみ裂かれたものがあっても、あなたのところへ持って行かないで自分で償いました。昼であろうと夜であろうと、盗まれたものはみな弁償するようにあなたは要求しました。(40)しかも、わたしはしばしば、昼は猛暑に夜は極寒に悩まされ、眠ることもできませんでした。(41)この二十年間というもの、わたしはあなたの家で過ごしましたが、そのうち十四年はあなたの二人の娘のため、六年はあなたの家畜の群れのために働きました。

 苛酷な羊飼いの生活が、よく理解できる記述だと思います。羊飼いの仕事は、財産管理の仕事でもありますので、羊の所有者の親族に委ねられることが多かったようです。しかし、羊飼いの仕事は苛酷であったため、親族の中で最も立場の弱い、取るに足らないと目される人物に委ねられました。兄弟であれば末っ子がそれにあたります。羊飼いの仕事を任された者は、家族を持たず、生涯独身を貫く必要もあったようです。なにしろ1年中ほとんど家にはいないわけですから。

 ただ羊飼いは、大自然の中で存分にものを考える時間を持つことが許されたために、より哲学的に、また信仰的になることができたのです。牡牛座、牡羊座、山羊座などの星座を考え出したのは、メソポタミア文明を担った羊飼いたちであったとも考えられています。

 

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告

げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

 

 最近アメリカでは、アフリカ系アメリカ人への警察官の差別的対応が問題とされ、各地でデモや暴動が発生しています。ひるがえってみれば、この日本にも差別は厳然として存在しています。今のアメリカと同じで、トラブルが発生しない限り、その問題点は見えてこないだけです。

 在日韓国人のパクナムジュさんは82才。父親は昭和4年頃、職を求めて朝鮮半島南部から広島に渡りました。荷物運搬業でお金を貯め、2階建ての一軒家を買ったそうです。太平洋戦争末期の1944年冬、2才だった弟が肺炎となり、医者にも「手の施しようが無い」と言われた夜、アメリカ軍の空襲が来てもすぐに逃げられるようにと、灯火管制が敷かれる中、電気の明かりを消さずに玄関近くにいたそうです。すると、突然玄関が乱暴に開けられ、近所の警防団員の男が「朝鮮のスパイめ!」と怒鳴られ、父親は蹴り倒されたといいます。するとその時、「乱暴をしたらいけん!」と、向かいの家に住む日本人男性が駆け込んできたそうです。「今、この家は大事な時じゃ。そんなことをしたら、いけんじゃないか!」と警防団員の男を叱ったのです。その向かいの家の男性は警防団長で、菊崎さんという名前の方だったそうです。パクナムジュさんは今もそのことを覚えていて。在日韓国人としてさんざん差別されてきたでしょう?と問われるたびに、「差別はありました。でもそれ以上の優しさや思いやりをもらいました。誰も恨む気持ちはありません」と答えるそうです。

 社会の中で、取るに足らない存在として扱われ、人々に下に見られるという苛酷な経験は、パレスチナの野で羊を追う羊飼いの経験と近いものがあるように思います。羊飼いたちの生活の中で、天使の来訪という出来事は「大きな出来事」であったとも言えますし、長い長い苦労の中の「ほんの一瞬の出来事」だったと言うこともできます。しかし、羊飼いたちはその「ほんの一瞬の出来事」を心にとめ、社会の中で見捨てられたかに思える自分たちが、神様の心に留められている存在なのだと信じることが出来たのです。

 

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。

 

 クリスマスの出来事は、生活に追われる私たちに語られる「救いの出来事」です。私たちは決して「忘れられた存在」ではありません。羊飼いたちのように、ほの暗い月明かりの中にも、天使の言葉を聞く者でありたいと思います。

復活後第4主日 ヨハネ14114 「願うことは何でも」    田島靖則

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」

 イエスがこう語りかけたのは、最後の晩餐の席上で、「あなたがたがたのうちの一人が、わたしを裏切ろうとしている」と語り、イスカリオテのユダをその場から送り出し、「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」と、ペトロに言い渡したことで、弟子たちのあいだに不穏な空気が流れていたためでした。

 人生の歯車がうまくかみ合って、物事が順調に運んでいるときに、人は言いしれぬ不安に襲われたり、眠れぬ夜を過ごしたりすることはありません。しかし、人生の歯車が予期せぬ展開のなかで、期待とは違った方向に回り始めたと感じるとき、私たちは不安と無縁ではいられません。

「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」

 イエスと弟子との会話がかみ合いません。苦しみの中にあっても、神とつながる方法をキリストは示された。しかし弟子たちは理解できません。

フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。

 キリストを見ることは、父なる神を見ることと同じ。キリストを通してこそ、愛の神を知ることができるのだということを、弟子たちはまだ理解できないでいます。

 デンマークの児童文学者アンデルセンの童話集第3巻には「ある母親の物語」と題された短いお話が収録されています。一人の幼児とその母親の物語です。ベッドに横たわるその幼子は、息も絶え絶えで、まもなく天に召されようとしています。母親は、もう三日三晩も寝ずの看病で疲れ切っています。そこに、みすぼらしい老人の姿をした死神が入ってきます。母親がうとうととまどろみかけたその瞬間、死神は幼子を連れて出て行ってしまいます。気がついた母親は、表へ飛び出して必死に子どもの名を呼びました。その姿を見た「夜の妖精」「いばら妖精」「湖の妖精」が出す無理難題を引き受けて子どもの居場所を教えてもらった母親は、満身創痍となり視力さえ失い、ようやく「すべての命が植物として育てられている死神の温室」へとたどり着きます。温室の世話をしている「墓守ばあさん」に、美しい黒髪を差し出して、子どもの命を助ける方法を聞き出した母親は、死神と対決し、たまたま目の前にあった「命の木」「命の花」に手をかけると、「もし自分の子を助けてくれないなら、この花とこの木を引き抜く!」と叫ぶのです。

 「わしにさからおうとしても、むだだぞ。」と死神が言いました。「でも神様なら、おできになります!」と母親は言いました。「その神様のおぼしめしを、わしはしているのみじゃ!」と死神は言いました。「わしは神様のお庭番じゃ。わしは神様の花や木をみんなはこんで、それを未知の国の大きなパラダイスの国に植え替えるのだ」。すると母親は叫びます、「あなたの花を、みんな引き抜いてしまいます。もうどうなったって、かまうもんですか!」。「おまえは。自分が不幸だと言いながら、いままた他の母親をも同じ不幸に落とそうとしているのだぞ!」という死神の言葉を聞いて、我に返ります。この後死神は、二人の人の人生を母親に見せて、そのどちらかがこれから先の幼子の未来であると語ります。大変に幸せな人生と、不安と恐怖に満ちた人生。

 母親はすべてを理解し、最後に神に祈ります。「神様!あなたのみ心に背きますような私のお祈りは、どうぞお聞き入れくださいますな。あなたのみ心こそ、この上ないものでございます。どうぞ、お聞き入れくださいますな!お聞き入れくださいますな!」。

わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

 アンデルセンの「ある母親の物語」は切ないお話しです。誰がこの母親を責めることができるでしょうか。この母親の願ったことは、決して間違いではなかったはずです。私たちの知恵の及ぶ限り、それは正しかった。しかし、私たちの知恵は有限です。そのことに気づいた母親の、最後の祈りこそ本当の知恵であると、アンデルセンは言いたいのでしょう。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」

 どのような予期せぬ出来事に出会うときも、神の導きを疑わない。そんな強い信仰を持ちたい。私たちが信じる力を持つために、神の助けを祈りましょう。

四旬節第4主日 ヨハネ91325 「今は、見える」      田島靖則

 

さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」

 

 キリストの十字架の道行きを覚える季節。キリストが当時のユダヤ教の指導者たちとどのように対立し、それが結果としてどのように十字架の出来事と結びついたのかを、この季節の福音書の日課は教えます。本日の物語は、ユダヤ教の律法で労働を禁じられている「安息日」に、「生まれつき目の見えなかった人」を癒やすというイエスの行為をめぐってのやりとりです。

 

ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。

 

 ユダヤ教の教えでは、基本的には「因果応報思想」に基づいて、その人が「生まれつき目が見えない」ことには、何か納得できる理由があるはずだと、そう教えます。ユダヤ教の考えでは、その人が「生まれつき目が見えない」のは「何かの罰」であり「神の決定」だということになります。ですから、その頃のユダヤ人の発想として、「目の見えない人」「障害のある人」「病気で苦しむ人」を積極的にその苦しみから解放しなければならないと思う人は、あまりいなかったと思われます。もちろん医者もいたでしょうし、薬もあったでしょう。でも、そういった手段を使っても、いっこうに症状が改善されない場合、それは「本人か、あるいは先祖の不徳が招いた結果」として、それを大人しく受け入れるべきだという暗黙の了解があった。

 そこにイエス・キリストが登場します。キリストは、「苦しむ者に寄り添い、苦しむ者を憐れむ神」を説き、実際に苦しむ者の味方になり、「その苦しみは何かの罰である」という迷信を蹴散らし、積極的に「苦しみ」の原因となる病を癒やし、また人々の偏見を正す道を示しました。

そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」

 

 このユダヤ人たちは、「生まれつき目が見えなかった人」が、今は見えるようになっていることに、納得がいかないのです。ユダヤ教が教える「安息日の労働禁止の掟」を破り、労働の禁じられた時間帯にキリストが「苦しむ人を癒やした」ことを認めたくはないのです。旧約聖書の掟を一つ残らず守っている自分たちの「正しさ」が覆されることに、耐えられない。だから執拗に「目が見えなかった人とその両親」を問い詰めるのです。

 

 19世紀のデンマーク人、ハンス・クリスチャン・アンデルセン。彼もデンマークの国教会であるルーテル教会の信徒だったはずですが、彼の書く童話は、むしろ大人たちに驚きをもって受け入れられたと言う点で、「子どものためのお話し」といった分類をはるかに超える内容をもっています。

 「お話し」の第1集は、1835年、彼が31才の時に出版されましたが、そこに収録された「皇帝の新しい着物」と題された物語は、その後「裸の王様」という別名で世界的に有名な寓話となりました。二人の「ペテン師」が、世にも不思議な布を織ることができるという触れ込みで、王様の前に進み出ます。その布は「自分の地位にふさわしくない者」「おろか者」の目には見えないという不思議な性質をもっているといいます。王様は、「その着物をわしが着たら、この国のどの役人がその地位にふさわしくないか、だれが利口かバカかを区別することができるようになる」と思い、多額の報酬を与えてその不思議な布を織るように命じます。皆様ご承知の通り、二人のペテン師は、機織り機の前で、空中に手を遊ばせて、機を織る「ふり」を続けます。王様の命令で、機織りの様子を見に来た年寄りの大臣は、姿も形も見えない布を、「おろか者」と言われたくないために「見えるふり」をし、「みごと、みごと」と賞賛します。次に派遣された役人も、「見えない」とは言えず、「このうえないみごとな布」だと王様に報告します。布を前にした王様も、何も見えませんが、「王位にふさわしくない」と言われることを恐れて、鏡の前で、その布で作った服を「着たふり」をして、そのまま行列を従えて町に繰り出します。往来の人々も、「おろか者」と言われることを恐れて、「なんと珍しい布だろう」「かざりの房が美しい」などと「見えるふり」を続けます。

 そこで、一人の小さな子どもが言いました、「だけど、なんにも着てやしないじゃないの!」。

 

さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」

 

 「おろか者」と言われることを恐れて、だれも本当のことを言おうとはしない。真実を語るのは、人々から「罪人」と見下され、長年暗闇の中を生きた人、その人一人だけだった。真実を明らかにするには、勇気が必要です。

 たとえ、だれ一人認めてくれないとしても、本当のことを受けとめ、受け入れてくれるのがキリストの説く愛の神様です。

 「今は、見える」。そう答えることができる幸いに感謝したいと思います。

待降節第3主日 マタイ11823 「神がともに」       田島靖則

 

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

 

 「君に良いニュースと悪いニュースがある、どっちを先に聞きたい?」。ドラマや小説などによくある場面設定です。この質問は、ブラックジョークの常套句でもあるようです。

 病気で入院中の画家が、見舞いに来た画廊の店主から、「君に良いニュースと悪いニュースがある、どっちを先に聞きたい?」と聞かれます。画家は「良いニュースから」と答えます。「君の絵を熱心に見ている客に、この絵は画家の死後価値が上がる絵だと教えたら、10枚も君の絵を買ってくれたよ」。「それじゃあ、悪いニュースは?」と聞くと、「その客は、君の主治医なんだ。」・・・

 マリアと婚約していたヨセフにとって、天使の受胎告知の内容は、決して「良いニュース」ではなかったはずです。2000年前当時の結婚は、親同士が決める「いいなずけ婚」だったでしょうから、ヨセフとマリアが恋愛関係にあったと考えることには無理があります。男女が親しく交際することを許されない時代、ヨセフにとってマリアは、ろくに口もきいたことのない相手だったと考える方が自然かも知れません。両親の許可が出て、いよいよ結婚という段になって、マリアはヨセフに「悪い方のニュース」を伝えることになります。実はすでに身ごもっているということ。父親がヨセフではないことは、説明する必要はないとして。天使ガブリエルのみ告げがあったことは話したでしょうが、その内容がヨセフを慰めることはなかったでしょう。

 

夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、

ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

 

 「夢」が人の決心を変える、などということがあるのでしょうか?確かにマリアの言うとおり、天使はその赤ちゃんを「聖霊によって身ごもった子」と言っていた。確かに。でもすべては「夢」の中です。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」という言葉を夢の中で聞いたのです。

 

 イギリスの金融の中心地、ロンドンのシティーにポストマンズパークという小さな公園があるそうです。その公園の一角に「他者を助けようとして命を失った人たちを記念する碑」が建てられているそうです。記念碑が出来たのは1900年。1863年から2007年までの犠牲者の名前と、そのいきさつが刻まれています。「ハリー、10才、おぼれた兄弟を助けようとして死亡」、「エリザベス、17才、暴れ馬から子どもを守って馬に踏まれて死亡」、「ウイリアム、60才、汽車にひかれそうになった作業員を助けて死亡」。この記念碑の前に立ち止まる人は皆、神妙な表情になり、感慨深げに立ち去るのだそうです。そこに名前を刻まれている人たちが、「英雄」だからでしょうか?そうではないと思います。その人たちが「英雄」になりたいと考えた、とも思いません。その人たちは例外なく、目の前に起こった出来事から逃げずに、その出来事を引き受けたということが、私たちを感慨深くさせるのではないでしょうか?

 

「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

 

 夢の中で天使から聞いた言葉。「その子をイエスと名付けなさい」。イエスという名のヘブライ語読みはヨシュア。「神は救いである」という意味です。「神は救いである」という名の赤ちゃんが、マリアのおなかに宿っている。ヨセフは信じたのです。その赤ちゃんの名前を聞いて、信じた。「神は救いである」。ヨセフは、目の前の出来事から逃げないと決めました。

 ヨセフは、何か特別に偉大なことをしたわけではないのです。「神は救い」なのだから、この目の前の出来事を引き受けると。そう決めた。

 私たちが、他人のために進んで命を捨てることを、決してお勧めいたしません。しかし、目の前にあることを引き受けることから始まる道もあります。「神は救い」であると信じるなら。私たちにも、この道を歩くことが可能です。

聖霊降臨後第21主日 ルカ171119 「十分の一の感謝」   田島靖則

 

 私が購読しております新聞には、週に一度、精神科医の香山リカさんがコラム欄に寄稿されています。タイトルは「ココロの万華鏡」。少し前に、次のような内容の文章が掲載されました。

 

医療の仕事は大変だが、とても幸せな仕事だと思う。それは「安定しているから」とか「収入が高いから」ではなくて、「患者さんや家族から直接『ありがとう』と言われるから」である・・・・・「ありがとう」と言われるのと言われないのとで、そんなに違いがあるの、と思う人もいるかもしれないが、それが大違いなのだ。同じストレスを受けても「お疲れさま」「よくやりましたね」と言われる場合と、まったく言われない場合とでは、その後の心身の回復には大きな差があるという医学的な仮説もある。もっとわかりやすく言えば、「感謝は疲れを癒やす」のである。医師、看護師など直接、患者さんに向き合う仕事は、どんなに疲れていても「ありがとう、ラクになりました」と言われれば、心が満足感でいっぱいになり、「明日もがんばろう」という気にもなる。だから、とても幸せな仕事だと言えるのだ。

 

イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。

 

 イエス様と弟子たちの一行は、エルサレムへ行く途中で、「サマリアとガリラヤの間」を通られたと、説明されています。そのような場所にある村で、イエス様は十人の「重い皮膚病を患っている人」と出会います。エルサレムから遠く離れたユダヤの辺境の地ガリラヤ、そしてユダヤ人からは「堕落した民」の住む場所と見下されていたサマリア。その中間にある村には、通常であれば絶対に付き合うことはない、ユダヤ人とサマリア人が共に暮らす、「重い皮膚病を患っている人たちの共同体」があった。「同病相憐む」と言いますが、病の苦しみは、日頃からの差別や偏見を超えて、人を結びつける力を持つのかもしれません。その十人は協力して、声を張り上げ、必死になってイエス様を呼び止めようと叫びます。その様子を見たイエスは、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」とお答えになる。そして十人の病は癒やされたと聖書は語ります。

 イエス様は、人が病気になるのは、本人の責任でも両親の責任でも、また先祖の責任でもないと言われます。つまり、「その人がなぜ病気になるのか?」という質問には、福音書の中で明確な回答は与えられておりません。その病気が「治るのか、治らないのか」についても同様です。

 しかし、本日の福音書の日課については、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」という十人の言葉に、キリストはお答えになっています。

 

その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

 

 この物語が伝えるところによれば、キリストと出会って癒やされた十人のうち、感謝の言葉を伝えるために戻って来たのは、ユダヤ人からは異邦人と蔑まれていたサマリア人一人だけだった。ユダヤ人には「選ばれた民としての誇り」がありました。普段からユダヤ教の教えを守って生活していた。だから、自分たちが「重い皮膚病」に罹る理由はないと考えていた。つまり、「罹る理由のない」病気に罹っていたのだから、治るのは当然だと、そう思っても不思議はありません。サマリア人は、普段から「ユダヤ教の教えを守れない、堕落した民」と見られていました。ユダヤ人から見れば、このサマリア人が重い皮膚病に罹るのは「自業自得」と、そう理解されたことでしょう。当のサマリア人は、どう考えていたのでしょうか?もちろん推測の域は出ませんが、きっと彼は「理由が分からない」「答えが与えられない」現実の中を、苦しみつつ生きていたことでしょう。しかし、その病は癒やされました。キリストと出会って、癒やされました。そして彼の心の中には、キリストへの感謝が生まれました。

 

 私が読んでいる新聞には、もうひとつ、心療内科医でエッセイストの海原純子さんのコラムもあります。つい先日の海原さんのコラムを読んでみましょう。

 

荷物が多い朝、仕事場に行くために無線でタクシーをたのんだ。5分もたたないうちに到着。名前と行き先を告げ乗り込むと、50代後半に見える運転手さんは、にこやかで感じが良かった。「すぐ近くで、前のお客さんを降ろしたところだったんです」。少しだけ饒舌になった運転手さんは「お客さんを送ったら、それで今日の仕事は終わりなんです」と言葉を続けた。タクシーの営業所は、私の行き先の千駄木から10分ほどで行ける上野の近くなので、「今日はついていて本当によかった」というのが運転手さんのいい気分の理由だった・・・それほど喜ばれると、こちらもうれしくなり、ほんのちょっとしたことで幸せな気分になれるのはいいなあ、と素直に感心した。

 

その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。

 

 私たちにも、このサマリア人のように人生の一大転機になるような出来事があるかもしれません。たとえ、そんな大きな出来事がなかったとしても、与えられたものに感謝し、素直にそれを喜べる「信仰」を持ちたいと思います。

聖霊降臨後第9主日 ルカ102537「善いサマリア人のたとえ」田島靖則

 

「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

 

 新約聖書が伝えるイエスのたとえ話の中で、最も有名なものが、この「善いサマリア人」のお話かもしれません。4つの福音書のうち、ルカによる福音書だけが伝えているお話ですが、このたとえ話の持つ独特の「輝き」は、群を抜いています。それはつまり、このお話が、国籍や民族、地域や時代を超越した「普遍性」を持っているということです。

 言うまでもなく、このお話は、単なる「人助け」を奨励するお話ではないのです。そうではなくて、このお話はルカによる福音書6章にある、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。という言葉を具体化した物語なのです。

 ここに1冊の本があります。正直に申しますと、この本を手に取って装丁を眺めて見ても、あまり興味を惹かれません。日の丸をモチーフとした白地に赤丸の配置。中央には年老いた男性のアップ写真。タイトルは『七滝の小さな男』。リアム・ノーランという元イギリス軍中尉だった人が、1966年にイギリスで出版した本の翻訳版です。「七滝村」というのは熊本県の地名で、熊本市の東側10数キロの場所にあった集落です。主人公の名前は渡辺潔。彼は17才の時に医学生だった兄からもらった聖書を読み、1909年(明治42年)、19才の時にルーテル熊本教会で、九州学院の創立者であるブラウン博士から洗礼を受けました。25才で九州学院神学部を卒業し、大牟田教会の副牧師を皮切りに、唐津、佐賀、広島と転任。1935(昭和10)年、45才でアメリカ東部のゲティスバーグ神学校に留学。時はちょうど、日本が軍国化の波に洗われていた頃です。2年後、帰国したその年に、日中戦争が始まります。そして4年後、太平洋戦争勃発時,

渡辺潔牧師は閉鎖された広島教会を去り、九州女学院の英語教師となっていましたが、すぐに軍部の通訳として招集され、1942(昭和17)年、香港の捕虜収容所に配置されます。そこで渡辺牧師が見た光景は、おぞましいものだったと言います。旧日本軍の兵隊たちは、イギリス人やカナダ人の捕虜たちを人間として扱わなかった。それだけではなくて、英語を理解する日本人の通訳たちまで、殴る蹴るの捕虜虐待に加担している。戦争は人間を狂気に駆り立てるというのは、本当だったようです。通訳たちのなかには、移民先の北米でひどい人種差別を受けた経験をもつ者もいたそうです。つまりそこには、「憎しみの連鎖」が渦巻いていた。そして、つい先日までは、普通の市民としてつつましやかに暮らしていた日本人が、戦地では「虎の威を借る狐」のたとえどおりに、傍若無人の振る舞いをする。イギリス人もカナダ人も中国人も日本人を憎んでいる。だから日本人も、捕虜たちや植民地の人たちへの暴行を止めない。この「憎しみの渦」の中に、一人の日本人牧師が放り込まれた。渡辺潔牧師は、自分が何をすべきか悩んだ末、ひとつの結論に達します。「自分の立場を利用して、捕虜たちの命が一人でも多く助かるために働くこと」でした。食料も医薬品も不足しており、イギリス人・カナダ人の捕虜たちは、やせ細り、ジフテリアや赤痢が流行します。血清が必要でした。拷問を受け、負傷しているのにろくな手当を受けられない者たちのために薬品が必要でした。極度の栄養不良の者たちにはビタミン剤が緊急に必要でした。渡辺牧師は旧日本軍が認めなかった赤十字組織の地下活動をおこなっていたイギリス人医師セルウィン・クラークから託された医薬品と食料を、繰り返し秘密裏に捕虜たちのところへと届けたのです。

 英国軍香港ミドルセクスの従軍牧師H.L.デイビスの手記を読んでみます。

「私たちは全くじみめで、絶望の窮地に立たされていました・・・日に日に人が死んで行くのを見ながら、必要な医薬品の供給が途絶えているため、どうすることもできず、ただ不安におびえた毎日を送っていました。まもなく、私たちは、ある日本人の通訳で渡辺という名のクリスチャンが、収容所の中へ医薬品を密かに運んでいるという噂を耳にしました。彼がそのためにどれほど、自分の命を危険にさらしていたかは、とても言い尽くせません。」

 英国軍中尉ロジャー・ローズウェルの手記はこう伝えています。

「彼が祖国を嫌っている国賊であると考えるのは間違っています。むしろ彼は祖国日本に忠誠を尽くしており、自分の国を愛し、同胞を慕っていました。そしてわれわれが彼の敵であったにもかかわらず、彼はわれわれにも親切にしてくれたのでした・・・私は多くのキリスト者の信仰について読んだことがあります。しかし、私が本当に出会ったのはただ一人、このジョン・ワタナベだけでした。」

 大きな鞄を持って、収容所を出入りする渡辺牧師の行動に、上官や憲兵たちが気づくのに時間はかかりませんでした。しかし、神様のお守りがあったというべきでしょうか。事の重大さに気づいた上官の陸軍大佐によって、不祥事の隠蔽の意図で、渡辺牧師は収容所から野戦病院へと配属を変えられました。ところが渡辺牧師はそこでも同じように捕虜たちを助けたため、旧日本軍兵士たちから暴行を受け、病院から追放されました。渡辺牧師が憲兵隊の処刑を免れたのは、日本軍の圧倒的に不利な戦局と、上官の自己保身というふたつの条件が重なったためでしょう。時は1945(昭和20)年8月、終戦は目前でした。

 結局渡辺牧師は、広島に残してきた最愛の妻と娘を、アメリカ軍の原子爆弾投下によって失い、失意のうちに帰国することになります。故郷熊本でルーテル教会の牧師として奉職する渡辺潔牧師のもとに、英国放送協会BBCから「This is your life」というテレビ番組への出演依頼が舞い込んだのは1960年。終戦の15年後でした。この番組はイギリス中に一大センセーションを巻き起こしたそうです。戦争映画やテレビ番組に登場する日本人は、みな残忍で冷酷だったけれども、その「日本人像」を塗り替えるほどの影響力を、渡辺潔牧師の行動は持ったということです。

「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

 

 このお話に出てくる、サマリア人とユダヤ人は敵同士でした。しかし、国籍や民族が違っても、たとえ敵同士であっても「隣人」となることはできる。領土問題や憲法改正など、きな臭い時代に再び突入しそうな今だからこそ、私たちはお互いが「隣人」でいられるための道を、私たちが信じるところに従って探さなければなりません。

聖霊降臨後第2主日 ルカ6:2736 「憐れみ深い者となる」 田島靖則

 

 しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。

 

 この聖書の言葉を取り上げて、キリスト教の「敗北主義」や「クリスチャンの卑屈さ」を批判する声が何度となく巻き起こったことでしょう。このキリストの言葉をどのように理解し、私たちの生活の中に実践していったら良いのでしょうか?私たちの人生には、理不尽なことが必ず起こります。人間関係においては、困った人が必ず現れます。不正はただされるべきですし、傷つけられたプライドは、どこかで回復されるべきです。それなのに、キリストは「あなたがたを憎む者に親切にせよ」と言われる。「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けよ」と言われる。

 ロシアの文豪レフ・トルストイは、「ろうそく」と題した短い小説を残しています。この小説には、不正を働き、権力を笠に着て気分次第で暴言をはき、暴力をふるう農園の管理人が登場します。人を傷つけることなど屁とも思わない、権力欲、金銭欲、自己正当化の権化のような男です。当然の成り行きとして、農民たちのあいだで、この管理人を暗殺しようという話が持ち上がります。なにしろこの管理人は、もともとほかの農民たちと同じように小作人の一人であったにもかかわらず、地主にすべてを任されているのをいいことに、しばしば週にたった一日のお休みである「安息日」すら無視して、農民たちを労働へと追いやりました。その年のイースター=復活祭。おそらくは当時のロシアの農民たちにとって、氷に閉ざされるクリスマスのお休みと違って、春を謳歌し、猫の額ほどの家庭菜園を手入れし、また年に数回しか受けることができなかった、教会の聖餐式にあずかることができる、貴重な復活祭の休暇にまで、この管理人は農園の畑を耕すようにと命じたのです。

 農民たちの怒りは頂点に達し、管理人の暗殺計画が実行されようとする、そのとき、一人の農夫ピョートル・ミヘーイェフだけが反対しました。「それじゃおめえは、キリスト様の祭日にみんなが働きに出るほうが、罪が軽いとでも言うのかね?第一おめえだって行きやしねえだろうが!」と言われてミヘーイェフはこう答えます。「行かねえことがあるもんかね?行けと言われりゃ、耕しにだって何だって出かけるさ。何も好きで行くわけじゃないからな。神様は、誰の罪だかはちゃんとご存じなんだから、おれたちは神様のことさえ忘れなけりゃそれでいいのよ。おれはなにも、兄弟、自分の考えでこんなことを言ってるんじゃねえ。もしも悪を滅ぼすのには悪で対抗しろということなら、神様からもちゃんとそういう掟がおれたちに示されているはずだ。ところがおれたちには、それとは別な掟が示されている」。

 一般に、「黄金律=ザ・ゴールデンルール」と呼ばれる、「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」というキリストの言葉は、親切な相手について言われているのではなくて、むしろ「憎むべき相手」「嫌なやつ」について言われている言葉なのだと知るとき、私たちは驚愕を隠せません。しかし、後に続く言葉、「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。」を読めば、この言葉の意図は明らかです。

 ミヘーイェフは続けます。「おまえは、悪人を殺したと思うだろう。悪を滅ぼしたと思うだろうが、そいつはとんだ見当違いで、おまえはそれよりももっとひどい悪を自分の心の中に引っ張り込むことになるんだぞ。災難はじっと辛抱することだ。そのうち災難のほうが根負けすることになるからな」。

 結局、この復活祭のお休みにミヘーイェフは馬を引いて畑に出かけます。しかも、普段は着ることがない、とっておきの新しいシャツを着て、復活祭の讃美歌を歌いながら馬が引く犂を操りながら畑の土を起こし続けます。管理人の命令で農民たちの様子を偵察に来た役人は、そこで不思議な光景を目にするのです。その役人の目には、ミヘーイェフが引かせる犂の上に、何か光っているものが見えるのです。それは小さなろうそくでした。不思議なことに、そのろうそくの灯火は風が吹いても、犂が方向を変えても消えません。

 この話を聞いた管理人は、ミヘーイェフが他の農民たちにからかわれても、罵られても「地には平和、人には親切」と言ったきり、復活祭の歌を歌いながら、畑を耕し続けたこと。そしてその犂の上にあったろうそくの灯火は、いつまでも消えなかったことを知って、「あいつはおれを打ち負かした!」とつぶやくのでした。物語はこの後で、管理人の無残な死に様を描きますが、そこまで描いてしまうと、これがただの勧善懲悪ものの物語になってしまうようで、トルストイには、「そこまでで十分です」と言いたいところです。

 

しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。

 

 「災難はじっと辛抱することだ。そのうち災難のほうが根負けすることになるからな」。私たちはこのピョートル・ミヘーイェフの言葉に希望をおいて、次のキリストの言葉を聞きたいと思います。

 

「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」